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カラタケ日記

派遣社員から契約社員になって9年経過。思いついたことを書いてます。

立ち止まり、目で追った~ 末期がんの母を看取った後で

2007-09-18 オーマイニュースに投稿し、掲載された記事です。一部、加筆しました。

 「家族を大事にね」

 亡くなる1週間前、週末の休みを利用して様子を見に行った私が帰る際、母が言った言葉である。それが母との最後だった。

  ◇

 厳しい残暑が続いていた。見舞客もまばらな白い2階建て病棟が、強い西日の照り返しで、まばゆく映った。「必ず治る」と繰り返し言っていた。余命告知はしていなかった。自身の命の時間を知っているのだろうかと、九州から帰る飛行機の中で自問した。

 2002年9月のある日、「大したことないけど」と前置きし、検診で胃がんが見つかったと母が知らせてきた。早期がんで見つかって幸いだった。紹介してもらった大きな病院で来月、手術する予定だという。

 手術の前日、東京から帰省した私は、担当医に症状の説明を受けた。胃のほか肝臓に薄い影が見えるが、大きな問題ではなさそうだ。はっきりとしたことは手術してみないと分からないと話した。狭心症の持病を持つ母は、先にそちらの手術を希望したが、早期がんであれば狭心症は後でも良いのでは、という医師の言葉もあり、私の判断でがん手術を優先してもらった。約2時間の予定で、午前10時頃に始まった手術が終わったのは、6時間を経過した午後4時過ぎだった。

 結果は進行がんで管内胆管がんにかかっていた。胃がんとの因果関係はないという。すでに肝臓、腹膜全般に転移しており、肝臓の2分の1、腹膜の一部を切除、胃の切除は3分の2だった。医師の診断は余命3カ月~半年だった。病期(進行度)としては、最終段階の「IV期・初期」だった。父は信じなかった。「医者の言うことはさっぱり分からん」とへそを曲げた。

 手術担当医師から引き継いだ30歳代の内科医師と、がん治療に関する話し合いを行った。治療法としては、進行を遅らせるための化学療法(抗がん剤)と放射線療法があるが、現段階では、管内胆管がんに対する有効な治療方法は確立されていない。治癒の見込みはないことを宣告された。積極的治療として位置づけられる抗がん剤治療だが、効果不明の上、激しい副作用が懸念されることから選択せず、痛みなどの症状を緩和する治療を行うよう要望した。度々、見舞いに訪れてくれた親せきの内科医も、担当医と会った上で、抗がん剤治療の選択は薦めなかった。

 年末に歩けるまでに体力が回復した母は、正月を自宅で過ごした。やつれた母は、

「元気になったら東京にも遊びに行くからね」

と帰省した我々家族に何度も話した。胆管がんの告知はしていなかった。

  ◇

 しばらくして母は、車で約1時間かかる手術を受けた病院に再入院した。父と再入院後から滞在してくれた叔母は毎週、病院に通った。その後、地元の病院で治療できるよう担当医に相談し、自宅から車で5分の個人病院に転院した。

 寝台車に同乗し付き添ってくれた担当医は、東京では、皇族の治療に当たっていたという地元出身の院長に、母の病状と治療に関する引き継ぎをし、抗がん剤治療は行わないことを確認した。

 5月、出張で新潟にいた日。抗がん剤を投与したらしいというメールが見舞いに行ってくれた親せきの医師から届いた。すぐに、手術を行った病院の担当医に電話した。抗がん剤治療は行わないよう申し送りしてくれたことを再度確認。翌日、母が入院している病院に行き、院長に面会、担当医が抗がん剤治療を行わないことを伝えた点と、抗がん剤投与の有無を確認した。認めた院長に投与の理由を尋ねたら、明確な答えはなかった。私は、淡々と話した。転院を申し出た。

 一瞬、院長の顔色が変わり、私から顔を背けたが、すぐに「かまいませんよ」と、“医師の顔”で答えた。

  ◇

 母は、隣町の総合病院に転院した。余命1~3カ月の末期の厳しい状態だった。総合病院の担当医に、抗がん剤治療は行わない旨を申し入れた際、「ほかに良い方法はありますか」と尋ねた。やはり、「有効な抗がん剤治療は確立されていない」と言った。

 最後まで、強い痛みがなかった母は、それから約半年後の10月に亡くなった。

 経過を知らされていない母は、最後まで個人病院の院長を信頼していた。どうして転院したのか、私には直接問いかけることはなかったが、叔母に聞いたという。狭心症の手術についても、どうして後回しにしたのかと私の判断を計りかねる様子だったらしい。

  ◇

 1年後、仕事からの帰り、東京駅の乗り換え通路を歩いていると、母にそっくりの女性を見かけた。元気な頃の母に似ていて、見覚えのある濃紫の洋服を着ていた。そんなはずはないと思いながらも、立ち止まり、目で追った。
 
 涙が、こぼれそうになった。

 もう一度、母に会いたいと願った。


 


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